嘘-たわごと

懐かしき甲斐バンド、甲斐よしひろを振り返りながら、時を思う

誘惑

あの頃~誘惑4

誘惑

「誘惑」

Side-A
カーテン
ちんぴら
悲しき愛奴(サーファー)
からくり
翼あるもの

Side-B
嵐の季節
バランタインの日々
二色の灯
シネマ・クラブ
LADY

聞きごたえというのではなく、中味がしっかりしたいわゆる出来の良かったアルバムだった。
合宿して気運も充実し、バンドメンバーが改めて同じ方向へ向いた上で出来上がったアルバムだったという印象が強い。
1978年というとバンドは結成4年目でハードな日程を過ごしていた中で、よく合宿するという発想が出てきたものだと思う。
この当時はまだ歌謡曲・演歌全盛の時代で、そこに見皆慣れすぎて要るとこのアルバムのアレンジ等々は簡素でシンプルのイメージが強かったけど、後に改めて聞くと内容が濃かった。

「翼あるもの」がここで出てきたこと、出来の良いアルバムが出来たことはそれ以降の活動の大きな糧になったのだろうな。






あの頃~LADY3

「LADY」

ああ LADY
手の中に あふれそうな愛を mm…
突然 手に入れた時 僕はただ悲しみに 悲しみにくれるだけさ

ああ LADY
一人の道を もう歩き疲れてはいたさ
だからお前の ひとすじの灯にさえ 気づきはしなかった

人はいつも僕を嘲って あの街の角を 通りすぎて行った
だからだから

ああ LADY
せつなく熱いこの想い のせてしまうには
ああ LADY
僕の手のひらは とても小さすぎるけど

ああ LADY
長い雨も荒ぶ風も 外は続きそう
だけど心の中の アンブレラ もうたたんでも いいんだろう

いつも朝は 冷たくおとずれ 夕暮れはさりげなく 痛みさえ残していった
だからだから

からのポケットに みたされた虹を 強くにぎっては 今にもこわしそう
だけど今帆を上げ 高い波をくぐりぬけ
荒れた海の中に 二人船をだす
だからだから

ああ LADY
せつなく熱いこの想い のせてしまうには
ああ LADY
僕の手のひらは とても小さすぎるけど

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

アルバム『誘惑』のB面はバラード調の曲が多かった。
これでもかというくらいに様々な切り口で、書き手も変えて曲を発表してたけど、1枚のアルバムの反面だけでこれだけ違う表情を見せたのは珍しい。
この曲の詩を読むに甲斐ならではでストレートな甲斐らしい曲だと思うけど、1978年のこの時点ですごく違う世界に住むようになったと感じていた。
ライブの最後を重く終わりたいという感じで書かれた曲かもしれないけど、それでも曲の意味するところに広がりは感じない。
アンコールの前の本編首終了時が立ち位置としては良かったんだろうね。





あの頃~シネマ・クラブ4

「シネマ・クラブ」

もうおしまいさ すべては手おくれ 何もかもが 狂っちまった今
思い出すのは 思い出すのは 雨さえ凍てつき 氷ってたあの夜

おいらの言葉は いい訳で終り 君のそぶりはひどい仕打ちで終る
お茶は飲みほされ 酒はつきて 白いテーブルに黒い時間が残る

君はいつまでも銀幕のヒロイン
ラストシーンは 美しく
思い出には足跡さえ 残さずに

もう駄目さ 誰が悪いのか 俺を苦しめた お前を憎めず
ふたつの針に 身体しばられ 終幕に向って 時間は進む

俺は悲しみを 皿にのせる 君は別れを グラスにそそぐ
子供のように はしゃいだ声で そして あの扉をもう出ていくんだろう

君はいつまでも銀幕のヒロイン
ラストシーンは 悲しく
舗道に影だけを 舗道に影だけを 落としては

君はいつまでも銀幕のヒロイン
ラストシーンは 悲しく
舗道に影だけを 舗道に影だけを 落としては

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

音楽も映画もよく聞きよく見て好きだったと聞くけど、自然とそういうものが耳や目に映る環境だったのだろうな。
恋愛模様とその想いを映画のシーンに準えたようなこの曲は、意外と前にもそうした曲が枯れていたように思えるところ、希少価値が高い曲だったかもしれない。
甲斐は福岡出身だけど、自分はもっと小さい田舎町で1978年当時はそんな田舎町にいて、映画館もかなり少なかった。
今のようにレンタルもなく、何かほんのちょっとでもきっかけがあれば映画を見に出ようと思ったかもしれないけど、そうしたこともなく、そうしたことに興味が持てた甲斐がうらやしくもあった。
そんなことを思い出させる曲でもあったんだ。





あの頃~バランタインの日々5

「バランタインの日々」

バランタイン
彼女の好きな酒の名 呼んでみる
バランタイン
酔いつぶれながら

いつか聞かされた男の名忘れたよ 彼女の顔ばかり 見つめてた
離れたままで暮らしていたから 心がわりにも気づかなかった

飲ませてあげなよ破れた 恋の数だけ
のんだくれ男に
見させてあげなよバカげた 夢の続きを
のんだくれ女に

バランタイン
彼女の好きな男の 酒の名だって
バランタイン
やっといま気づいた

(作詞:松藤英男・甲斐よしひろ、作曲:松藤英男)

曲の作り手に甲斐も名を連ねているけれど、ほとんど松藤が書いたきょくなんだろうな。
甲斐の描く世界と松藤のそれには当然のように差があって、書き手を意識しなくても曲を聴いてるとニュアンスの差を感じる。
1978年だと甲斐26歳、松藤25歳の頃かな。
酒に興味を持ち、いろんな酒を知りたいような年頃だと思うけれど、スコッチウィスキー・バランタインに気づくとは、甲斐も去ることながら松藤も相当な飲んべだったのだろう。
年代が嵩めば高価になるスコッチであるバランタインは、この曲が出た時代に気づく者はそんなにいなかったと思うし、そのバランタインをモチーフとして何ともシャレて気が利いた曲を書いたものだと感心してた。
自分が同じような年齢になったときに、バランタインの世界まではいけなかったと思うと、味わい深い年の積み重ね肩をしてたかもしれない。








あの頃~嵐の季節4

「嵐の季節」

けだるく何もない 昼下がり 最後のビールを飲みほして
手持ちぶさたで テレビを観たら
ニュースの アナウンサーが 熱い季節ですと ささやく

窓を開けると 声がする 耳を澄ますと 足音がする
俺を呼ぶ声に 振りむけば 新聞のコラムの年寄りまでが
熱い季節ですと わめくのさ

そうさ コートのえりを立て じっと風をやりすごせ
みんなこぶしを握りしめ じっと雨をやりすごせ
いまは嵐の季節

ブザーが鳴って ドアが開く 見知らぬ女が叫ぶのさ
若さは仮面よ 待っていては遅すぎるわ 
愛しあう日は もう来ない 熱い季節なのよって

愛がほしいなんて 言いはしない だから君にも あげはしない
ただおいらは 街角に立ち お前のバラ色の髪に 顔をうずめ
現在を感じていたいのさ

そうさ コートのえりを立て じっと風をやり過ごせ
みんな こぶしを握りしめ じっと雨をやり過ごせ
そうさ コートのえりを立て じっと風をやり過ごせ
みんな こぶしを握りしめ じっと雨をやり過ごせ

そうさ コートのえりを立て じっと風をやり過ごせ
みんな こぶしを握りしめ じっと雨をやり過ごせ
いまは嵐の季節

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

ライブ模様とそこに思いを乗せた曲はいくつかあった。
何処かに込められた想いはメッセージとなって、聴き手に降り注ぐ。
それはライブに行って一体化したような気分にならないと分からないと思う。
1978年はまだ自分はライブデビューできる環境にいなかったが、後にライブに行けるようになった頃は、この曲はラインアップから外れていた。
若さが溢れるライブもいいけれど、達観したかのような境地でのライブもいい。
1983年だったか1984年だったか、いきなりこの曲が演奏されたときは驚いたけど、何と10分以上にわたって演奏され、歌われ、オーディエンスは叫びながら拳を振り上げる模様は圧巻だった。

♪ そうさ コートのえりを立て じっと風をやり過ごせ みんな こぶしを握りしめ じっと雨をやり過ごせ ♪
まさしくここがライブそのものを歌っていた。





あの頃~翼あるもの5

「翼あるもの」

どしゃ降りの雨をぬけ 晴れ間に会えたとしても
古いコ-トはきっと今は まだ脱ぎ捨てはしない
今は きっと

行く先を決めかねて 佇む一人の曲り角
さすらう風の小耳にそっと 行く先たずねてる
うつろな 今日

明日はどこへ行こう
明日はどこへ行こう
俺の海に翼ひろげ 俺は滑り出す
お前というあたたかな港に
たどり着くまで

疲れ果てた身体をだまし ただ鳥のように翔ぶさ
風に乗り 雲をつきぬけ 自由を夢見て めざして
大きく はばたく

現代に生きる俺たちに 星は進路を指してくれる
夜の海 誰かが高く 燈火を 生命をともしてる
悲しげに 高く

明日はどこへ行こう
明日はどこへ行こう
いま夕陽に翼ぬらし 俺は帰るのさ
お前というあたたかな港に
たどり着くまで

俺の海に翼ひろげ 俺は滑り出す
お前というあたたかな港に
たどり着くまで

俺の声が聞こえるかい お前に呼びかける
こらえ切れずそばにいたいと
叫びつづける

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

云うまでもないけど、この曲は♪ 現代に生きる俺たちに 星は進路を指してくれる ♪というフレーズがすべてと言っていい。
この頃から現代(いま)に触れることが多くなった。
いや、もうそう言うことで活動してきたのかもしれない。
曲の作り手の意識が明確にあろうがなかろうが、表現されていることにはしっかりメッセージが出てくるようになり、前のめりで必死に生きるというか生きることの素晴らしさを表現するようになっていた。
メッセージソングは書きたくないと言っていたこともあったけど、聴き手の気持ちの問題もあって曲を聴き、歌うことで生き糧を得ているのなら、それはメッセージソングだと言うことになる。
この今日が収録されているアルバム『誘惑』は、バンドメンバーが合宿してまで作り上げたアルバムだけど、ある程度用意していたと思われるが、合宿して初めて曲が本格化していったように思う。

多分、この曲が詞と言いメロディといい、甲斐の目指した音楽の大きな柱だったから、重層感溢れた様々なアレンジができたのだろう。
この曲がシングル化されず、後に「安奈」のB面に入っていたことは驚きだったけど、1978年当時は甲斐も田舎で夜空に星いっぱい見て育ってきたんだろうなと思っていた。






あの頃~からくり4

「からくり」

見えないものが ある日急に 見えてくる時がある
見えた気になっては手ひどい 痛手うけることになる
それが 世の中

ところでおいらは力尽き 不意に自信を失くしては
頼れる奴の言葉に なぐさめを乞う毎日
でも魂に力がある日は 頼った奴の言葉にさえも
二度と そうさ 振り向きもしない

このままでは みえる前に きっと息絶えてしまう
このままでは みえる前に きっと息絶えてしまう

本音と建前のプラカード そいつを交互に下げ
うまく生きた気になり手ひどい 痛手うけることになる
それが 世の中

ところでおいらは あくまでも 世の中はおいらの中
だからそいつはカッコよく 世間と呼べるものじゃない
いつも世の中はおいらの 中だけでEND
そうさそいつはカッコよく 人生と呼べるものじゃない

このままでは観える前に きっと息絶えてしまう
このままでは観える前に きっと息絶えてしまう
このままでは視える前に きっと息絶えてしまう

誰がつくって仕組んだのか視えないまでも生きるぜ
このままでは視える前に きっと息絶えてしまう
誰がつくって仕組んだのか 視えないまでも生きるぜ

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

幼少のころから舞台の上と袖を自然と知ることになり、それはデビューしてからも形と内容を変えてやはり同じだった。
本音と建前、それが横行する世の中・世間ではあるけれど、それは正解と誤解を生むことにも大きくつながる。
人生の浮き沈みをどれだけ経験してしまったのかが反映した曲ではあったけど、1978年にアルバム収録の時より、シングル「HERO」のB面に収録されていたことにインパクトがあった。
甲斐の目が何処にどういう具合に向いていたのか、そして人並み以上の目まぐるしい時間を過ごして様々な思いを抱いていたんだろうと言うことが分かるような曲だった。
1978年と言えば自分は高校生。
これから迎える波の序章はこの頃に始まっていたと、今更ながら思わされる。





あの頃~悲しき愛奴(サーファー)3

「悲しき愛奴(サーファー)」

あれはうそさ 思い過ごしさ 先に手を伸ばしたのも
青い海の踊り場横切ったのも おいらじゃあないね

あれは夢さ 幻さ おいらの部屋のドア叩き
泣きながら震えてた姿 君じゃあないね

遠い夏の日 この腕に抱いたのは
愛じゃあなくて 熱い太陽さ

抱かれることに口実が 君は必要みたいだね
それは二人のせいじゃなく くるった季節のせいさ
そうだろ

おいら悲しい愛奴(サーファー) 波にゆらゆられ
この胸こがしたのは 熱い砂の上

沈む夕日はみたくない 砕けた夏もほしくない
ショートカットにカーリヘアー おいらの上でゆらゆられ

おいら悲しい愛奴(サーファー) 白い波にゆらゆられ
この胸こがしたのは そうさ熱い砂の上

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

町支寛二や浜田省吾がいた愛奴というグループを、甲斐がどんな目で見ていたのかわかるような気がする。
割と好意的に見てたと聞くが、この曲はそのままなのか反語的なのかは分からない。
この曲が出た1978年に愛奴はなかったのだから。
そうでなくても愛奴は知らなかった。
この曲が愛奴に関して書かれたかどうかの真偽のほどは分らないけど、愛奴なんて言うワードは愛奴を意識しないと書けないだろうから。

しかしマニアックな曲だよな。





あの頃~ちんぴら3

「ちんぴら」

お茶を飲むのも 映画観るのも
恋をささやくことさえも そこは窮屈すぎる街
明日は信じられず 昨日もあてにできず
目の前のぬくもりに飢え お前にすがりついた

※ああお腹すかした ああちんぴらは
ゆっくり眠れる 愛という名のベッドが 欲しかった

その時お前には もうひとつの愛があり
それを捨ててもやって来るとは 思いもしなかった
だから接吻も 切ない吐息も
行きずりの夢とあきらめ おぼれていったのさ

ああお腹すかした ああちんぴらは
ゆっくり眠れる 愛という名のベッドが 欲しかった

傷つけることも 傷つけられるのも
慣れていたから お前のやさしさにも おびえていた
男と女は いつも流れ星 だからみじかく輝いては消えてゆくというのかい

ああお腹すかした ああちんぴらは
ゆっくり眠れる 愛という名のベッドが 欲しかった

お茶を飲むのも 映画観るのも
恋をささやくことさえも 窮屈すぎる街

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

ちんぴら、ゴロツキ、そんな存在を意識することなく生きているのが当たり前のところ、そんな中途半端に目を付けた曲だったのかな。
正式にやくざという訳でもなく、去りとてカタギという訳でもない。
街に嫌われ者であり、薄汚れたような存在には触れたくない。
いわば中途半端な汚れ者であり、やくざに憧れつつ、時にカタギの世界に、、、という感じかな。
今もそうだろうけど、この曲が出た1978年当時もこうした存在は多く、若気の至りでは済まないことの方が圧倒的に多かった。
そうした存在に触れた割には歌詞がきれいすぎて違和感ばかりが残った。
以前も今もそれは変わらない。
云ってみれば、チンピラと表するところをちんぴらと表したところにミソがあったかもしれないが。





あの頃~カーテン4

「カーテン」

ドアを閉めたら ロックをして さあおいで ここに来て
窓辺によらず 電話は切って さあおいで ここに来て
LaLaLaLa LaLa

髪をあげたら 靴を脱いで さあおいで 僕を見て
灯りを消してもためらわないね さあおいで 秘密の中
LaLaLaLa LaLa

閉ざしたままのカーテンを開げ 俺を迎えて さあ おくれ
閉ざしたままのカーテンを開げ 俺を迎えて さあ おくれ

素敵な夜さ 二人っきりの 今夜はイカしてる 秘密の中
朝が来るまで 飛び立とうぜ 夜が明けるまで 上へ登ろう
LaLaLaLa LaLa

閉ざしたままのカーテンを開げ 俺を迎えて さあ おくれ

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

どんな形であれ、社会に出ていろんな経験を重ね、想いを巡らせるうちに色気が出てくるのかもしれない。
想いの巡らせ方にもよるだろうけど、1978年の頃から明らかに詞の内容で分るようにバンドが変わってきた。
甲斐バンドは4人のメンバーだし、ここのメンバーの個性を生かそうとして来てたのだろうけど、甲斐の言う緩みというのはメンバーが甲斐に頼り勝ちと言うことだったのかもしれず、一つの方向を見据えた結束が緩かったのかもしれない。
この曲を聴くと、この曲が収録されたアルバム「誘惑」のことに行ってしまう。
合宿してまで作り上げたアルバムを象徴してたようなこの曲は、曲に対する考えた方とか向き合い方が変わっていたのかもしれない。
1978年、甲斐バンドのメンバーは25.6歳。
そんな若き連中にそうした想いの巡らせ方があったとしたら、驚きでもあった。






プロフィール

モン太

ギャラリー
  • あの頃~ティーンエイジ・ラスト
  • あの頃~CRY
  • あの頃~ONE
  • あの頃~パートナー
  • BEATNIK~その2
  • BEATNIK~その2
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

タグクラウド
TWITTER




CD・DVD

KAI BAND&YOSHIHIRO KAI NEW YORK BOX(DVD付)

新品価格
¥15,726から
(2017/2/11 15:39時点)



甲斐バンド・ストーリーII

中古価格
¥1,589から
(2017/2/11 15:40時点)



カオス( 2)

中古価格
¥2,500から
(2017/2/11 15:41時点)



Highway25

中古価格
¥6,575から
(2017/2/11 15:42時点)



甲斐よしひろ: ROCKUMENT BOX [DVD]

中古価格
¥24,650から
(2017/2/11 15:43時点)



THE BIG GIG [DVD]

中古価格
¥9,000から
(2017/2/11 15:44時点)



HERE WE COME THE 4 SOUNDS [DVD]

中古価格
¥2,825から
(2017/2/11 15:44時点)



Big Night~KAI BAND LIVE AT BUDOKAN 1996~ [DVD]

新品価格
¥2,722から
(2017/2/11 15:45時点)


最新コメント
記事検索
  • ライブドアブログ