自分の気を表現するということは、分かっていても難しい。
しかも、それでしっかり詞を書き、メロディをつけてその時の自分を押し出すように表現する。
「HERO」のヒットで自分たちが思うのとは別により注目を浴びる頃でも、ライブで自分を表現するやり方に変化はなく、しかし、ある意味生の自分を表現しかけた時期があった。
バンドメンバーでも特に甲斐は、結婚したときも本を出したりして想いを表現してたけど、離婚の時も感情としては荒れていただろうに、ライブを向上させるために自分の気を曲として書き上げていた。
それまでの哀愁とか今現在の瞬間を書いていたこととは別に、自分が迎えてしまった大きな試練に立ち向かうような感がどこかにあった。
境遇的にどこか反骨心はあったと思う。
少なくとも従順で素直ではない逆境に立ち向かおうとする気。
支えではないだろうけど、そういう時でも生きよう、生きるために立ち向かおうとしてた甲斐は、生の甲斐でもあった。
こういう自分気を書きこむことだけでも、和製ロックなんだけど、意外と少なかったと思う。
区切りではない大きな節目に書いた曲だからこそ、今に至るまで歌っているのかもしれない。
「漂泊者/アウトロー」はそういう状況においてもその気がはっきり聞こえた曲でもあった。
だから、コード進行が単純な曲だと評論されることに、そういうことは全く需要ではないというようなことを言っていたと思う。
和製ロックとは複雑なコード進行で聞き手を聴きこませて組事ではなく、どれだけ気を込められるのかということだったと思っていた。