嘘-たわごと

懐かしき甲斐バンド、甲斐よしひろを振り返りながら、時を思う

夏の轍

和製ロック~その975


甲斐バンドでの甲斐は、自分の存在もさることながらメンバーを際立たせることへに気遣いも忘れない人だったように思う。
曲を書き、ボーカルを務め、ギターまで使ってしまうリーダーだった甲斐は、甲斐バンドが甲斐よしひろバンドではないことへのこだわりがあった。
それは解散し、再結成しても変わらなかった。
本格再結成という名の元、『夏の轍』というアルバムを作ろうとした時、メンバーには曲を書いてくるよう要望していた。
それがその表れだったのだろうけど、この『夏の轍』というアルバムこそがリードギター大森さんへの追悼の意を込めたアルバムだったことに気づくまで時間がかかってしまった。
大森さん失くして甲斐バンドはない、それほど重要な存在で甲斐自体は紙風船のように風で何処かへ行ってしまいそうだったけど、それでも甲斐には気遣いがあり、大森さんもそれに気づき、アルバム制作と演奏の中でそれに応えようとしていた。
大森さんの病状については、知る由もなかったけど、甲斐バンド再結成という状況を抜きにしても大森さんへの気遣いは、アマチュア時代からの深い付き合いのなかで培われたものだろう。

甲斐バンドは2001年までのバンドである。
それ以降は甲斐バンドはなく、甲斐よしひろバンド化してしまった。
でも、それまでに甲斐バンドは大森さんに支え、支えられた大した和製オリジナルバンドだったことは「STAS」に現れていた。






たわごと~アルバム『夏の轍』5

夏の轍

『夏の轍』

甲斐バンド本格再結成という触れ込みで発表されたアルバムがこのアルバムだった。
個人的には甲斐ソロ第1期からブランクが続き、この時になってようやくライブに参戦できる状況となっていたこともあって、このアルバム発表には興味を持ってみていた記憶がある。

これから迎える夏を熱いものにしようということとバンド再結成への熱い想いが重なり合って、、、
今にして思うと、大森さんへの手向けのような思いも重なっていた気がする。

1996年にとりあえずの再結成はあったものの、新作を携えてのこの時、やはりブランクを感じた。
打ち込み系のアルバムでいいものをと必死にアルバムを作っていたところから、ブランクを経て手作り感のあるものをという展開は、デジタル全盛の時代で敢えてアナログ系で攻めていたところにあった。
各楽曲になんとも言えない味があって、新旧織り交ぜたバンド模様が出ていた感じでもあった。

これが甲斐バンドフルメンバー最後のアルバムとなってしまったけど、このアルバム発表とライブに関しては非常に思い入れができ、忘れられないアルバムとなった。

富士急コニファーフォレストでのライブもあった


たわごと~Jasminagain4

「Jasminagain」

この曲の原曲となった「Jasmin/ジャスミン」は未発表曲であり、「HighWay25」で知り、聞いただけで、もう忘れてしまっていた。
こういう曲は甲斐には書けない曲だなと思ったけど、作詞はやっぱりそうだった。
甲斐がソロで、KAIFVEで、いずれの形で歌おうとしたのかはわからない。
甲斐のソロ第2期は、影になりながらも松藤の存在はあったので、「Jasminagain」というタイトルで甲斐バンドでやったことは、まさしくタイムリーだったと思う。

メロディは松藤のものだけど、そこへのアレンジが実によかった。

♪ 会いてえな お前に。ものすごく会いてえな ♪

というフレーズが、いかにも甲斐バンド再結成を物語っていた。


たわごと~甘いkissをしようぜ(reprise)4

「甘いkissをしようぜ(reprise)」

同じ曲をアレンジを変え、ボーカルを変えて同じアルバムに入れてきたことには、ちょっぴり驚きがあった。

これは好みの問題だろうけど、この曲をシングルで行くならば甲斐ボーカル、アルバム収録ならば松藤ボーカルという感じだと思うところ、双方入ってきた。
曲の持ち味を思うと、松藤の方が味がある感じだけど、そこには松藤のボーカルの弱さが浮き出してしまう。
甲斐であっても松藤であっても、基本は同じ曲だから同じアルバムに入れてしまうと比較してしまうところもあったから、こういう収録には感心しなかった。



たわごと~アナログ・レザー4

「アナログ・レザー」

この曲が収められたアルバム『夏の轍』を聞いたばかりの頃、悪くはないけど音的にもう一つの感があった。
聞き手はプロじゃないしな、そんな想いでいたけど、1986年までの甲斐バンド周期に比してもよくないとは思っていた。
その頃、打ち込み系に完全に傾倒していたこととは対照的に、このアルバムはデジタルではなくアナログ路線で行っていたことに気づいた。
せっかくの再結成だから手作り感満載のものを、とでも思ったのだろうか。
その代表的な曲であったこの曲。

曲自体は旋律がよく、音的な劣化みたいなものを感じないいい曲ではあった。
アナログ世代に生きた俺たち、それが自慢という事が前面に出過ぎて、聞き手であったこっちは思い切り引いてしまった。
自分たちのスタイルは、いいと思っても曲とするものでもなく、曲のモチーフは別の求めるべきだっただろうと思う。

ただ、2001年の再結成当時、この曲で気分が高揚したのはリアルで当然のことだったようにも思えた。


たわごと~VIOLET SKY4

「VIOLET SKY」

この曲は詞を甲斐が書いて、一郎が作曲してる。
両者の特徴が出てる曲だけど、双方の大森さんへの想いがあふれてる曲のようでもあるね。

「生きる勇気失くす前に カッと目を見開いて

カラスが螺旋状に降りる

悲しみなんてないそう言い聞かせ」
というフレーズね。

バンドの中でも、甲斐と大森さん、一郎と大森さんの距離感の違いは明確にあった。
甲斐バンド本格的再結成なんてカッコいいこと言ってたけど、これは大森さんの病状に向けての手向けのような気がしてた。
甲斐バンドの時間は1986年までで止まってる。
だけど物凄く重くて重要な時間だった。
そして、これは再燃することはない。


たわごと~白いブランケット5

白いブランケット

「白いブランケット」

『夏の轍』という夏のイメージが強く残るアルバムの中に、冬の曲があるというコンセプトは心に残ったよ。

いい曲だった。
詞もメロディもアレンジも。
寒い冬にぬくもりを感じるブランケットは、そのぬくもりこそが大事なんだといってう用にも聞こえた。

この曲はそうしたぬくもりを感じつつ、それを感じる冬がもうすぐ終わり、更なる旅立ちを、、、という事なのかな。

何かを訴えてる感じもして、ぬくもりとともにそこから抜け出せない。
そういうことを感じさせてくれる曲だからいいのかな。

名曲ではないけれど、よく書けていていい曲であることは間違いないよ。


たわごと~甘いキスをしようぜ4

甘いkissをしようぜ 

「甘いキスをしようぜ」

個人的に松藤のボーカルは好きではないのだけど、彼の作る曲には甲斐にはないテンポとリズム、メロディがある。
「きんぽうげ」もそうだったように、この曲だけはBeatnikTour2001以降も取り上げられていたことがあった。
このライブの演奏だけではとにかくもったいなかった。

タイトルが捻りが効いていたというか、キスなどと無縁に近い年齢になりながら恋愛の中にあったそういう行為に思いを寄せているなんてシャレているよ。
作詞は松藤じゃないけど、そうしたシャレた感覚のモチーフをうまく音に乗せている感じがあった。
この辺りが彼の音楽的なセンスなんだろうね。


たわごと~トレーラーハウスで3

トレーラーハウスで

「トレーラーハウスで」

如何にも甲斐が夏季ような曲だったし、モチーフもそうだった。
“トレーラーハウス”というワードが出てきてるためか、乾いた夏、乾燥して日本にはないような夏で埃っぽそうなイメージがあった。
「Blue Letter」のイメージと被さったところもあったかもしれない。
でも、曲を歌詞をかみしめて聞いてるとそうでもないバラード調の曲だった。

甲斐バンド本格的復活の第1弾シングルとして、なぜこの曲だったのか今でもわからない。
しかし、アルバムのタイトルの中にはしっかり入ってきそうな曲ではあった。


日本には珍しい四季がある。
そうした四季の中でも、日本にはない乾燥していそうな夏を歌ったような感じになったのも、海の向こう側でバンドは最後を迎えていたという事が背景にあったかもしれない。



たわごと~STARS5

「STARS 」

この曲を聞いたり、触れたりすると、故・大森さんを思い出す。
この曲が収録されたアルバム『夏の轍』が発表された2001年当時は、思いもしなかったけど、後になって追いかけてみると大森さんの体調がよくなく、安定してなかったことを知った。
1986年の甲斐バンド解散時も大森さんの耳の不調から来るものだったけど、一般に知られていたこの不調も根が深かったかもしれない。
アルバム『夏の轍』発表の3年後の大森さんの訃報はまさかという感じだった。

甲斐バンドは甲斐よしひろバンドではなかったのは、バンド時代にバンドに触れていた者なら感じていなければいけないこと。
もちろん、矢面に立っていたのは甲斐だけど、持ち手が放してしまうとどこへ行くのかわからない風船のようでないようにした意味での大森さんの存在は大きかったし、ありがたかった。
大森さん亡き後の甲斐の活動を見てれば、それはわかること。

やっぱり、そういうバンドだったからメンバー各個が運命共同体だったと思うし、甲斐の各メンバーへの意識は相当高かったはず。
2001年当時、もう大森さんの不調は手の施しようがなかったかもしれない。
そういうことを察知して、甲斐はこの曲を書いたのかもしれない。

アルバム『夏の轍』自体が、実は故・大森さんへ向けてのアルバムだったかもしれないのは、その後ライブでは演奏されていないことに表れているのかもしれないな。


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