甲斐バンドでの甲斐は、自分の存在もさることながらメンバーを際立たせることへに気遣いも忘れない人だったように思う。
曲を書き、ボーカルを務め、ギターまで使ってしまうリーダーだった甲斐は、甲斐バンドが甲斐よしひろバンドではないことへのこだわりがあった。
それは解散し、再結成しても変わらなかった。
本格再結成という名の元、『夏の轍』というアルバムを作ろうとした時、メンバーには曲を書いてくるよう要望していた。
それがその表れだったのだろうけど、この『夏の轍』というアルバムこそがリードギター大森さんへの追悼の意を込めたアルバムだったことに気づくまで時間がかかってしまった。
大森さん失くして甲斐バンドはない、それほど重要な存在で甲斐自体は紙風船のように風で何処かへ行ってしまいそうだったけど、それでも甲斐には気遣いがあり、大森さんもそれに気づき、アルバム制作と演奏の中でそれに応えようとしていた。
大森さんの病状については、知る由もなかったけど、甲斐バンド再結成という状況を抜きにしても大森さんへの気遣いは、アマチュア時代からの深い付き合いのなかで培われたものだろう。
甲斐バンドは2001年までのバンドである。
それ以降は甲斐バンドはなく、甲斐よしひろバンド化してしまった。
でも、それまでに甲斐バンドは大森さんに支え、支えられた大した和製オリジナルバンドだったことは「STAS」に現れていた。