嘘-たわごと

懐かしき甲斐バンド、甲斐よしひろを振り返りながら、時を思う

マイ・ジェネレーション

あの頃~マイ・ジェネレーション4

三つ数えろ

『マイ・ジェネレーション』

Side-A

三つ数えろ
感触(タッチ)
港からやってきた女
街路
100万$ナイト

Side-B

異邦人の夜(シスコ・ナイト)
特効薬

グルーピー
熱狂(ステージ)

1979年と言えば甲斐バンドを気にするようになる直前。
「HERO」のヒットはあったものの、だからと言って傾倒するようなこともなかった。
ライブでは影響の大きかった「100万$ナイト」も知らないままだったから、この後「100万$ナイト」をライブで聞くことへのあこがれみたいなものが大きくなった。

世代を意識することは他のアーティストもよくあったことで、しかし、それが曲やアルバムに出てしまったことは少なかったという想いがあった中、このアルバムはそれをまともに取り上げ、自分たちに足取りもしっかり捕えていたから、余計に印象的でもあった。
このアルバムのB面に収められた最後の3曲は足取りという意味合いが大きいのだろうけど、そこを通して世代=ファッションとして曲が作られ、演じられていた。
象徴的なのは「三つ数えろ」で、この曲に端を発し、ストリングスが取り入れられていたのもこのアルバムの特徴なんだろう。
「HERO」の後に発表されたアルバムということより、出来がかなり良かった『誘惑』の後のアルバムは、、、という意味でもこのアルバム取り組みの意識があがっていたことの印象が強い。







あの頃~グルーピー3

「グルーピー」

どこかの誰かと躍ってる お前俺らにしらんぷり
背中にからんだ 細い指先 青いマニキュアこの胸を刺す
いい気なもんさ 俺らのこと 知ってるくせに 奴の腕で
冷たいウインク キラリとこぼれた

”あんた‟あたしの昔の夢”
そんな台詞でおしまいかい 
冗談だらけの人生だもの 素敵なステップお似合いさ
おいい気なもんさ ALL NIGHT LONG
ミラーボールの星のように お前俺らをスルリと抜けた

忘れられるさ お前がくれた どこにもあるような思い出
強がりだけがスルリと抜けた

(作詞:五業 昌晶、松藤 英男、甲斐よしひろ、作曲:松藤 英男)

メロディアスでいい曲だなと思うけど、特にとがったような特徴がないのは松藤の特徴。
グルーピーなんて今では死語中の死語だけど、この曲が出た1979年だってこの言葉を使っていたのはマスコミとごく一部で、ファンじゃなく質の悪い追っかけの様な意と思ってた。
バンドにまつわることはなんでも曲のモチーフにしちゃうんだなあと思った。
そういう曲が多いアルバムが「マイ・ジェネレーション」だったけど、それがその時の世代の象徴だったかもしれない。














あの頃~噂4

「噂」

ある日のことテレビを見てたら どこかの局のディレクターが
ふいに電話してきて 言うことにゃ ヒット・チャートの中に あなた方の席もあります

それでオレは電話を切っちまった 電話はもう一度 
オレを催促する受話器の声は とても陽気でいかしてるのさ

一口の水と思いやりを アー誰もがほしがってる
一口の水と思いやりを でも誰も助けてはくれいないさ

声を消したテレビの中では どこかの歌手が2分間の 魂ってやつを歌ってる
それを見ながらいっしょに オレたちは歌うのさ

一口の水と思いやりを アー誰もがほしがってる
一口の水と思いやりを でも誰も助けてはくれいないさ

LaLah LaLaLa LaLah LaLaLa
誰かがオレたちの噂をしてる
LaLah LaLaLa LaLah LaLaLa
だからテレビまでも切っちまった

(作詞作曲:甲斐よしひろ)
「HERO」ヒットのもう一つの裏側。
1979年当時ではなく、この曲が気になったのはそうしたヒット騒動の5年後くらいだった。
「HERO」のヒットで甲斐バンドの存在は気になるものとなったけど、すっかり傾倒したわけではなかった。
紆余曲折を経て、この曲にたどり着いた時、いつも気になってだけど実現というか現実の世界に見られなかったことが歌詞の中に入って歌われていたからだ。
一口の水と思いやり。
これ以上の思いやる表現はあるだろうかと思って、それを心にとめていくようになった。
でも人の心なんて時が経てば移ろいゆくもの。
いつしか忘れるようにもなったけど、不意に思い出しては振り返るようにもなった。
けど、現実の世界はそれより厳しく、こっちが思いやりのような気でいてもくみ取ってくれることは少ない。

でも、この一口の水と思いやりという言葉は忘れたくないな。






 

あの頃~特効薬3

「特効薬」

パンチもプレイボーイのヌードも 少しはなぐさめてくれるが
だけど違うぜ何かが足りないさ
アンノン・スタイルのとびきりイカした 女が今夜も声をかけてくれるが
退屈なのさ 何かが足りないさ

オイラをノックしておくれ 今すぐ コツコツとたたいて この胸を
キミの愛にふりむこうともしなかった オイラを起こしてよ 今すぐに

ディスコミュージック フォークを聴きなよ やさしくあまいメロディもいいけど
違う新しい刺激が欲しいぜ
車も酒も服も手にいれたい 名声も地位も金もほしいさ
でもオレがほしいのはそんな愛じゃない

オイラをノックしておくれ 今すぐ コツコツとたたいて この胸を
キミの愛にふりむこうともしなかった オイラを起こしてよ 今すぐ
キミのその手で
オイラをノックしておくれ 今すぐ コツコツとたたいて この胸を
キミの愛にふりむこうともしなかった オイラを起こしてよ 今すぐ
キミのその手で
(作詞作曲:甲斐よしひろ)

刺激は何時になってもほしいと感じるものなのかもしれない。
その人によるだろうけど。
上京する直前の1979年の頃は現状に甘んじてたわけではなかったけれど、時の流れの沿うようにしてたかもしれないと思うようになったのは、割と最近の頃。
自分を変えてくれる刺激がいわば特効薬なんだろうけど、それは欲していたとかそうでないとかは関係なく、急に訪れるものとそういう具合に自分で自分を導くものかもしれない。
時代が生むようなものもあるだろうけど、今では少なくなったいい意味での刺激には敏感でありたいと思うようになっている自分にちょっぴり驚いてもいる。





あの頃~異邦人の夜(シスコ・ナイト)3

「異邦人の夜(シスコ・ナイト)」

サンフランシスコの青い雨に あの人は消えて
サンフランシスコのうるんだ夜に あの人はとけて
最終案内の声がしたなら もうこの恋も終り
つめたいロビーにかすむ足音
思い出さえふみこえて

一夜だけのぬくもりだから 一夜だけの甘いウソだから
アーア アーア
あなたは行ってしまう シスコ・ナイト

サンフランシスコの青い雨に あの人は消えて
サンフランシスコのうるんだ夜に あの人はとけて
テールランプも人も消えたら もうこれでさよなら
恋人たちが愛の言葉を傘でかくすこの町で

一夜だけのぬくもりだけを 一夜だけの甘いウソだけを
アーア アーア
一人で今も抱きしめる シスコ・ナイト

最終案内の声がしたなら もうこの恋も終り
霧にかすんだこの街角で 一人寒さに身を切って

一夜だけのぬくもりだけを 一夜だけの甘いウソだけを
アーア アーア
涙の海に沈めて シスコ・ナイト

(作詞作曲:甲斐よしひろ)

1970年代から1980年代に旺盛だったアーティストやミュージシャンは、そこに興味を持ってライブに行ったり聞きまくっていた人たちもいい歳になって、自分に使えるお金や時間が出来、それを呼び起こそうとしてかつての曲を武器に活動している。
甲斐バンドもそういうバンドになった。
往年の曲をあーでもない、こーでもないとやり口を変えてやってるけど、この曲はあんまり聞かないな。
この曲が出た1979年、自分は上京する直前の歳だったけれど、特に大都市や海外に対する憧れはなかった。
今にして思うと、この曲が出る前に甲斐はソロでアルバムを作るために海外に行ってたんだけど、俗にいう海の向こうの街の雨模様に憧れみたいなものがあったかもしれないと感じることがある。

自分が住む街、知ってる街とは違う街の匂いには興味が沸いたりもするし、そういうことはこの曲が出た年以降に沸いていたことを思い出す。
知らない雰囲気に触れることもいいものだと。





あの頃~感触(タッチ)2

(タッチ)夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

俺を素敵だと思うなら そっと手すりを離して 地面に降りてくれよ
こわがらず ときめきにまかせ その手で俺を確かめてくれ
男は獣のように妖し 女は悪魔のように可愛い
おまえがすがる俺の腕は こんなにも細いけど
永遠に続く くちづけ交しながら

(タッチ)夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

甘美い酒も誘惑のバラも やっぱりおまえは欲しいかい
この街は狂気のように そうさ 愛まで凍らせちまう
男は獣のようにこわがりさ おまえがたたく俺の胸はこんなにもうすいけど
二人だけの この痛み守りながら

(タッチ)夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

俺を素敵だと思うなら そっと手すりを離して 地面に降りてくれよ
こわがらず ときめきにまかせ その手で俺を確かめてくれ
男は獣のように妖し 女は悪魔のように可愛い
おまえがすがる俺の腕は こんなにも細いけど
永遠に続く くちづけ交しながら

(タッチ)夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

甘美い酒も誘惑のバラも やっぱりおまえは欲しいかい
この街は狂気のように そうさ 愛まで凍らせちまう
男は獣のようにこわがりさ おまえがたたく俺の胸はこんなにもうすいけど
二人だけの この痛み守りながら

(タッチ)夜にまぎれて 太陽のある場所へ 走り続けよう
(タッチ)早くしないと 俺たちの愛なんて 燃えかすになっちまう

1979年と言えば、「HERO」の大ヒットで甲斐バンドの名を知らしめることになったと共にイメージも植え付けたかもしれない。
自分にしてみればファンではなかったけど、「裏切りの街角」や「氷のくちびる」から来てたイメージがあった。
バンドの活動の流れに沿った形で、「HERO」はヒットしたと言われてるようだど、それはこっちが思う流れでもあった、後から思ったけど。
そう詞て植え付けられたようなイメージでのヒットというのは、ファンでなかったとしても好ましいことでもあった。
この曲はその「HERO」の流れをくむように同じような曲だったが、期待していたのは「HERO」で出来たイメージを掘り下げたものだった。
けど、逆だった。
甲斐バンドの存在って荒くれそうになりながらも足元が見えてるところにあったと思ってたから、どこか裏切りにあったような気分になったことを今でも覚えてる。






あの頃~三つ数えろ4

「三つ数えろ」

一晩中仕事をやって くたくたで帰る途中さ
十字路でディスコ帰りの イカれた奴らが酔っぱらって
オレの車を蹴飛ばした オレはどなった いつだって
イライラのしっぱなしさ 満足なんかできはしないさ

深夜喫茶へ行ったのさ 重い気分はらすため
ウンザリするほど待たされて やっときたメニューを見れば
干からびたサンドウィッチと 苦いばかりのぬるいコーヒー
オレはどなった いつだって 満足なんかできはしないさ

1、2、3,三つ数えろ 怒りと焦りふきとばせ
祈るように数えろ でも満足なんかできはしないさ

孤独と夢とストレスが 快楽と愛とプライドが
いつも路上に転がってるさ 流行(ファッション)だけがオレの世代さ
それで満足できないなら 戦争でもおっぱじめるさ

(作詞作曲:甲斐よしひろ)
満足できない生き物なんだろうな、人って。
この曲が出た1979年も今も、言葉にしてみれば満足できないことに変わりはない。
今はいい歳になったのでいろんなことに気づき、不満を言葉にもできるけど、1979年と言ったら高校生の自分。
小さなことでも満足できてなかったけれど、それを満足できてないと明確に意識はできてなかったような気がする。
ただ、不満があるから前を向いていろんな工夫を重ねていたわけで、その姿勢は今も変わってないと思う。

疾走感を曲にしたような「HERO」は、アレンジとかサウンド的に歌謡曲に近いものがあった。
多分、この曲あたりから音の太さとうねりが明確に出始め、自らの不満と語りないものがどこにあるのか意識されていったように思える。
「HERO」を聴き、その直後バンドの流れに沿ってこの曲を聴くと衝撃を受けるのだから。
それでも満足するはずもなく、歌詞的にも更にもう一段上がったように感じた。






たわごと~アルバム『マイ・ジェネレーション』4

三つ数えろ

アルバム『マイ・ジェネレーション』

アルバム『誘惑』で表現された愛と官能の世界が、発展して世代論を語るようになった。
“三つ数えろ”が“MY” GENERATIONとと表示されているのが、このアルバムの真骨頂だろう。

 “HERO”がヒットし、世間の流れを味方につけたようにも見えたが、甲斐バンドはしっかり先を見据えようとしていたことが実証されたアルバムでもあるだろう。
これまでの変遷をしっかり踏襲して、更に次の段階へと進もうとする姿には、また階段を1段上がったという印象が強い。

名曲“100万$ナイト”はファンならずとも、一度は体験して欲しい曲だ。







たわごと~熱狂(ステージ)4

熱狂/ステージ

「熱狂(ステージ)」

メディアが多様になった今現在でも、その昔、2分間の魂と揶揄された状況はまだ受け継がれてる。
以前は単一と言っていいほど、メディアは少なく、自分たちの活動に目が注がれ、自分たちの曲に耳を傾けてくれるようにするには、ライブを充実させることが成功につながっていくということだったんだろうと思う。
聞き手にとっても、気になるミュージシャンが自分の街に来てくれるという嬉しさは得も言われぬことだし、気にいれば更に、、、ということになる。
それは以前はもちろんだけど、今でも変わらぬ局面はあると思う。

甲斐バンドはライブバンドだったということは言うまでもない。
自分たちを見つめ、自分たちの曲に興味を持つものを一人でも増やすということはライブを儒実させ、各地を回っていくということが最も重要だった。
ステージは自分たちの場所、ステージ以外は観客の場所と区別して、それぞれが充実させにはステージを充実させて客席を熱狂させることがその活動の第一義でならなければならなかった。
良いステージだった、良い観客だったと相互に思わせることは大事なことで、それをつなぎとめるのは曲と演奏だし、ステージから発せられる効果的なコメントだった。

ライブを身上とするバンドが、それまでの変遷を言葉にし、想いを曲にすることは滅多にないことだけど、それだけに当時の想いが身に沁みてくる。
この曲に現された心情は、いつの時代になっても変わらないでいて欲しかった、、、





たわごと~グルーピー2

「グルーピー」

アルバム『マイ・ジェネレーション』には、ライブ活動にまつわる曲が結構多いような気する。
「HERO」というヒット曲を挟み、地道なライブ活動を生命線としたバンドは『誘惑』というアルバムに行きつき、そして『マイ・ジェネレーション』にたどり着いた。
曲もそれまでの郷愁・哀愁の世界から官能の世界へ、そして世代論を語りながらも、ライブ重視は変わらなかった。
バンドのライブは多分この時一旦は最高潮を迎えていたように思う。
だから、ライブを振り返ってみると、そこには様々なエッセンスが転がっており、まるで信者の如く熱狂的に追い掛け回す者も結構いたと思う。
うまく言えないけど、「甲斐はクセになる」というのは、多分この頃も後も同じで、そうなるような魅力があったんだろうな。
で、グルーピー。
今は死語になったこの言葉も、当時はまるでつきもののように言われてた時代があった。
グルーピーまで行かなくとも、それに近い存在はライブを生命線とするバンドには必要だったんだろうな。
だから、そういうことも残したかったということかな。
さすがにこういう曲は甲斐には書けない。
で、松藤の登場となったんだろうけど、詞を呼んでも意味不明だし、曲としては歌いこなしを思っても不十分だった。





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