「荒野をくだって」

この曲についても、以前書いたけど、その想いは今も変わらない。

オリジナル甲斐バンドは、多分、ベースの長岡が脱退した時に終わっていたんだろう。
何かを為し得たい、、、その想いだけで、ここまで辿りついていたということかな。
自分が思った音を求めて、ニューヨークまで行って、そこで得たもの、、、虚無感。
様々なことの積み重ねが今の音であり、思い描いたものが得られなかったとしても、甲斐自身が言う甲斐バンドの終わりはここではない。
甲斐自身にそういう想いがあったから、この曲の歌われ方になったということはその時点で歌い手としては失格。
多分、長年経ってから甲斐が言いだしたことを思うと、純粋にそういう想いは思い違いだったかもしれない。
甲斐バンドにおいて最大のイベントだった「THE BIG GIG」の時の7この曲の歌いっぷりを思うと、ある意味心の中に一線を画してしまった人の歌いっぷりではない。

想いは長年経ってしまって思い返してみると、それは違うと言うことは本人じゃないから分からない。
でも、『虜/TORIKO』を作った時の想いは、求めていた音を作り上げる、新しい世界を作っていくことの始まりだったのだから、やっぱり解釈の違いであって思い違いだと思うな。
この曲を聴くと、そんなことまで思いが行ってしまうよ。