自分もいい歳になって、これからの事も更に考えなくちゃいけないというのに4.50年前の事を時に思い出すことも多くなったかもしれない。
情報量が今と比べて圧倒的に少ない時代、その時代では自分の想いの深さが今以上に大事だったかもしれない。
だから思い出すこと多いのかもしれないけど、決して勢いに任せていたのではなかったから浅はかではなかった。
意識して音楽に触れたのは中3の受験の頃で、その頃話題になった小椋佳のNHKホールでのコンサートによく触れていた。
主発点はバラード、フォーク、そんなところだろう。
今でも小椋佳は好きでよく聞いているけど、多感な時期だったから余計にその感覚を覚えているのかもしれない。
高校に進学しても、やはりフォークだった。
そんな中ロックという世界にも触れたけど、言ってみればまだロックは市民権を得ておらず、浸透どころか入り口にも立っていなかったかもしれない。
甲斐バンドはロックをやろうとしていたとは聞いたけど、まだ聞き込んでもいなかったからヒットした「HERO」を聴いて、いい曲だなと思い、甲斐の新聞記事を読んで「HERO」に掛かれていた詞に込められていた想いにも触れられたけど、曲としては歌謡曲のようなアレンジだと思っていた。
どういうスタイルになってどういう音を出せばロックになるのか、まるで理解していなかっただろうけど、アップテンポの曲をガンガン演奏し歌うスタイルがロックだと勘違いしていた。
甲斐バンドの「HERO」を聴いて歌謡曲と思ったのは、ライブというものを体感していなかったことに尽きるけど、山奥の都市に甲斐バンドは来ないし、進学校に通っていたせいもあってライブ会場にでかけようとしてもきっと規制はあっただろう、それよりもほ他に大事なことがあるだろうと言われて。
高2年の冬だったか、受験勉強に勤しむ中、ラジオの深夜放送でいやに耳障りがいい曲が何度の流れ、それが「安奈」だということに気づくまで時間がかからなかった。
ロックと言ってもフォークにもやるんだというのが当初の想い。
けど、季節感たっぷりで時代にもあっていたんだろう。
思いを寄せた娘は中学からいたけど、高校半ばで遠距離恋愛めいたことと受験勉強が疎遠にし別れが来ていた、
何故か、「安奈」をじっくり聞いて吹っ切れたような気分になっていたことを思い出す。
アップテンポだろうがバラードだろうが、聞き手の想いに乗る、添うということがひょっとしたらロックではないのか。
そして聞き手に考え込ませることが1960年代の音楽の源で、それを甲斐バンドはやっていたことではないのかと思うようにもなっていた。
勢いに乗らせる、勢いをつけることだけがロックではない。
考えさせること、思いを深めることが和声ロックではないのかということに気づくまではそこからまた数年かかったけど。
そういう意味では「安奈」は、後に言われたBEATIKを感じさせられた曲でもあった。
情報量が今と比べて圧倒的に少ない時代、その時代では自分の想いの深さが今以上に大事だったかもしれない。
だから思い出すこと多いのかもしれないけど、決して勢いに任せていたのではなかったから浅はかではなかった。
意識して音楽に触れたのは中3の受験の頃で、その頃話題になった小椋佳のNHKホールでのコンサートによく触れていた。
主発点はバラード、フォーク、そんなところだろう。
今でも小椋佳は好きでよく聞いているけど、多感な時期だったから余計にその感覚を覚えているのかもしれない。
高校に進学しても、やはりフォークだった。
そんな中ロックという世界にも触れたけど、言ってみればまだロックは市民権を得ておらず、浸透どころか入り口にも立っていなかったかもしれない。
甲斐バンドはロックをやろうとしていたとは聞いたけど、まだ聞き込んでもいなかったからヒットした「HERO」を聴いて、いい曲だなと思い、甲斐の新聞記事を読んで「HERO」に掛かれていた詞に込められていた想いにも触れられたけど、曲としては歌謡曲のようなアレンジだと思っていた。
どういうスタイルになってどういう音を出せばロックになるのか、まるで理解していなかっただろうけど、アップテンポの曲をガンガン演奏し歌うスタイルがロックだと勘違いしていた。
甲斐バンドの「HERO」を聴いて歌謡曲と思ったのは、ライブというものを体感していなかったことに尽きるけど、山奥の都市に甲斐バンドは来ないし、進学校に通っていたせいもあってライブ会場にでかけようとしてもきっと規制はあっただろう、それよりもほ他に大事なことがあるだろうと言われて。
高2年の冬だったか、受験勉強に勤しむ中、ラジオの深夜放送でいやに耳障りがいい曲が何度の流れ、それが「安奈」だということに気づくまで時間がかからなかった。
ロックと言ってもフォークにもやるんだというのが当初の想い。
けど、季節感たっぷりで時代にもあっていたんだろう。
思いを寄せた娘は中学からいたけど、高校半ばで遠距離恋愛めいたことと受験勉強が疎遠にし別れが来ていた、
何故か、「安奈」をじっくり聞いて吹っ切れたような気分になっていたことを思い出す。
アップテンポだろうがバラードだろうが、聞き手の想いに乗る、添うということがひょっとしたらロックではないのか。
そして聞き手に考え込ませることが1960年代の音楽の源で、それを甲斐バンドはやっていたことではないのかと思うようにもなっていた。
勢いに乗らせる、勢いをつけることだけがロックではない。
考えさせること、思いを深めることが和声ロックではないのかということに気づくまではそこからまた数年かかったけど。
そういう意味では「安奈」は、後に言われたBEATIKを感じさせられた曲でもあった。